月岡温泉 摩周

2016年4月にCIを導入した、新潟県新発田市の月岡温泉・摩周。温泉旅館としては珍しい、改装にともなうリ・ブランディングがどう進められたのか、プロジェクトを牽引した庭山支配人にお聞きしました。

月岡温泉 摩周

CI導入、その本当の役割とは。

石川/館内を改装するタイミングでCIを導入した際に、行動指針とロゴマークの制作、客室とレストランのサイン、お土産のパッケージなどをお手伝いさせていただきました。
庭山支配人/当初はロゴマークをリニューアルする目的で、そのデザインをお願いしたんですよね。でも最初の打ち合わせで言われたのは、「ロゴマークありきではなく、CI※を見直しませんか」ということでした。
石川/デザイナーは形をつくることが仕事だと思われがちですが、私は依頼主といっしょに考え方をつくることを最も大切にしています。企業や社員の思いを丁寧に引き出した先に、副産物としてロゴマークが生まれてくる。その過程が企業をいい方向へ導くと提案しました。
庭山支配人/お話を聞いて石川さんの考えに共感しましたし、「こんなふうに向き合ってくれる人がいるんだ」と感銘を受けました。設備投資からスタートしたリ・ブランディングでしたが、これは温泉旅館として思いきった方向転換ができる、大きなプロジェクトになるかもしれないとワクワクしましたね。

※CI … コーポレート・アイデンティティの略。ブランドイメージ(らしさ)を整理・共有したうえで、社内外に発信すること。

月岡温泉 摩周

参加することで、意識は変わる。

石川/最初に着手したのは、経営陣を含めた全スタッフのヒアリング。企業理念としてすでにあった「心のふれあい大切に、笑顔あふれるおもてなし」、その実現をめざすことは変わらないだろうと思っていましたが、「具体的にどういうこと?」と聞いたときに統一した答えが返ってくるかは疑問でした。そこで全スタッフと面談して、課題や感じていることをみなさんの言葉で語ってもらったんですよね。
庭山支配人/これまでは経営に携わるごく一部の人が意思決定を行い、その結果をスタッフに報告するだけでした。でも今回はヒアリングを通して全スタッフの意見を吸い上げたり、提案されたロゴマークについて「みんなはどう思う?」と途中経過を公表する機会を設けました。これら一連の流れから、社員一人ひとりが会社の運営に参加しているという意識が芽生え、プロジェクトを推し進める大きな力になりました。

月岡温泉 摩周

ロゴに、思いをつめこんで。

庭山支配人/ロゴについては「本当に決定案で行くのか」、社内で議論になったんですよね。
石川/初見では「印象が強くて忘れられない」と感想をお聞きしていたので、正直、意外でした。
庭山支配人/3案中、他の2案はこれまでの延長線上にあるイメージでしたが、決定案は他と比べてホップ・ステップ・ジャンプくらいの飛躍があって、温泉旅館としてはちょっとした冒険かもしれないと感じていました。ただしどの案も意味ある過程を経ていましたし、販売戦略上、差別化を求めていたので、この冒険がアドバンテージになるだろうと考え、最終的には「これしかないね」という決断にいたりました。
石川/私のいつものやり方だと意味や理論をつきつめて図案化することが多いのですが、今回は理屈を踏まえつつもそこから一度離れて、感覚的に心を動かすものをつくろうと模索していました。そんななか鉛筆でずっと描きつづけていたのが、心から寛いだときに出る幸せの溜め息に似たあの形だった。ここにめざすイメージがあるはずだと信じて眺めるうちに、3つのハートから構成されたように見える家紋を組み合わせれば、企業理念を凝縮した「まごころ」という言葉に置き換えられると気付いたんです。摩周は訪れたお客様とそこで働く人たちが実際に出会う場所なので、思わず目が留まるくらい引っ掛かりのあるロゴをきっかけに、新しいコミュニケーションが生まれる予感もありました。

月岡温泉 摩周

形がつなぐ、コミュニケーション。

庭山支配人/確かに石川さんが想定した通り、新しいロゴはお客様に何かを語りかけているようで、「この形は、いったい何なの?」と何百回となく質問されました。「ひょうたん?」、「ねずみ?」、「それとも、うさぎ?」と、お客様によってさまざまな形に見えるみたいですよ(笑)。
石川/会話のツールとして機能しているのは、本当にうれしいですね。
庭山支配人/旅館名の「摩周」は北海道にある摩周湖を由来としているのですが、年々「新潟県の旅館なのに、なぜ『摩周』なの?」と聞かれることが少なくなり、自然な会話の接点が減っていたんです。次なる会話の糸口を探していたところ、このロゴがピタリとはまって課題は解決。それが「日本タイポグラフィ年鑑2017」でグランプリを受賞したことで、さらに新しい会話の種まで付いてきた。お客様とのつながりが広がっただけでなく、理念を凝縮したロゴが評価された喜びをみんなでわかち合いました。

月岡温泉 摩周

実際に体験したから、わかること。

石川/一歩踏み込んだコミュニケーションが成功した理由を考えてみると、実際に宿泊してサービスを受けた体験が大きく影響したと感じます。利用したからこそ旅館の強みや課題を深く理解し、そしてその先にいるお客様の気持ちを想像しながらデザインに思いを込めることができました。客室サインとして「本」を提案したのも、還暦や誕生日のお祝いなど利用者目線で家族の物語をイメージできたからだと思います。
庭山支配人/以前からプレートを客室に掲示するだけでは面白みに欠けると思っていたことを、どう解決すればいいか相談したんですよね。物事と真剣に向き合っていて、その思いがあふれるくらいいっぱいになったとき、それを叶えてくれる人が突然現れることが人生にはあると思うんです。石川さんとの出会いには、そういう不思議なご縁を感じます。旅館として攻めあぐねていたりモヤモヤと悩んでいた部分で、石川さんはその都度効果的な手段を提示してくれました。全体を通して学ぶことも多く、とても貴重な経験ができたと感謝しています。

月岡温泉 摩周
庭山 忠さん
新潟県新発田市月丘温泉654-1
https://www.masyuu.co.jp/